2024/04/29
141. 神の置いた敵意と偶発的情報
前回述べたように、私は「人間の仕業」という言葉に集中し、その始点である創世記と、新約聖書を黙想した。やがて、それは、聖霊の霊性と養成、ヨハネの黙示の訓練についての黙想へと発展した。そして、ヨハネの黙示に書いてあるままにその訓練を毎日するうちに、ヨハネの黙示が預言的構成を持っていることを知った。
この黙想の流れの中で、創世記の「蛇」を「情報」と捉えた。この発想は、創世記の「女」が神に向かって「蛇がだましたのです」(創世記3:13)と言った表現とも合致する。「女」は、「男」と関わっているうちに、二人の間に交わされた情報を、自分のものとして取り込んでしまった。そこで、彼女の記憶から意識の中を這い回るように現れるこの情報が、「蛇」をイメージさせたのである。
「蛇」が情報であることは、神が「蛇」に「このようなことをしたお前は、あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で最も呪われる」(創世記3:14)と言った言葉によっても分かる。「このようなことをしたお前」、すなわち「女」に語り掛けた「言葉」である「蛇」は情報である。「あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で」とは、同一種の生き物の間で偶発的に情報が発生することについて言及したと考えられる。本ブログでは、それを「偶発的情報」と呼んできた。その中で「人の偶発的情報」は群を抜いて進化し、「最も呪われる」ものとなっていた。
神は、「蛇」に対して、「お前と女、お前の子孫と女の子孫との間に私は敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」(創世記3:15)という新しい計画を打ち出した。ここで神がはっきり言っているように、この「神が置いた敵意」は生殖によって遺伝する。そこに「女の子孫」として神の子を世に遣わす計画が秘められていたと知るには、イエス・キリストの到来を待たねばならなかった。シメオンが「反対を受けるしるしとして定められています」(ルカ2:34)と言ったとおり、神の子イエスは、まさに「神が置いた敵意」そのものとして世に遣わされたのである。
この理解は、イエスとともに十字架に付けられた犯罪人の一人に起こったように(ルカ23:39~43参照)、すべての人が自らの内にある「神が置いた敵意」に目覚め、イエスに向き直り救われる必要があることを示している。その救いはキリストのおかげですべての人に差し出されている。
黙示録に「悪魔でありサタンである竜、すなわち、いにしえの蛇」(黙示録20:2)と書いてあるように、悪魔とサタンは「蛇」である。ゆえにそれらは、「人の偶発的情報」であると私は考えている。そうであれば、私たちは、イエスが荒れ野で模範を示されたように(マタイ4-1-11、ルカ4-1-13参照)、理性的に対処することができるのである。
つづく
Maria K. M.
0 件のコメント:
コメントを投稿