2026/04/06
242. ヨハネ福音書と新約の司祭職 親和性の実装
「あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである」(ヨハ14:17)と言われたイエスの言葉を信者に体験させることと、イエスの名によって遣わされた聖霊との親和性を実装する自発性を育てていくことは、同時に進行する。そのためには、その訓練の書にイエスの名が置かれていることが必須条件である(本ブログ№240参照)。旧約聖書の使命は、福音書の中でイエスによって引用されたことでその役目を終えた。イエスとつながり、イエスによって完成され、福音書の中で新しい御言葉として生きるものとなったのである。ゆえに、その由来や背景は、必要に応じて解説されれば十分であると考える。
キリスト者は、新しい契約によって、イエスを受け入れ、イエスの名を信じて神の子となる資格を与えられた信者である(ヨハ1:12参照)。その新しい記憶に新しい御言葉を恒常的に注入するためにも、新約聖書は成立した。父と子と聖霊のみ名によって洗礼を受けた信者の記憶は、新しい革袋である。そこに注がれた新約聖書の言葉が、イエスの名によって遣わされた聖霊と見事な親和性を見せるに至るためには、注がれた新約聖書の言葉が認識となって熟成する必要がある。その必要に答えるために授かったのが、ヨハネの黙示録である。イエスの名によって遣わされた聖霊が最適化したこの訓練を、信者たちに公に与えることができるのは、教会の牧者たちである。
私たち信者は、教会が正典と認めたヨハネの黙示録の言葉に、ただ幼子のように素直に従い、この預言の言葉が感覚から入るに任せるのみである(黙1:3参照)。黙示録を朗読する声は、流れて信者の感覚を清め、知識に留まることなしに、聖霊が定めた記憶の場に入る。そして自律的にイエス・キリストの世界観を信者の無意識の記憶として形成することができる。この世界観が、信者の知識に記憶されていた新約聖書の言葉を受けて認識にする基礎になる。このように、黙示録を、水を飲むように日常的に朗読することによって、イエスの名によって遣わされた聖霊との親和性を実装する自発性が養われる。ゆえに一回の量は、真摯にこの訓練に向き合うその人相応でよいのである。
それは、マタイ福音書でイエスが、「天の国は、ある人が旅に出るとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けるようなものである」(マタ25:14)と言って始められたたとえと似ている。主人は、僕たちにそれぞれの力に応じて自分の財産を預けた。それは信者にとってヨハネの黙示録を朗読する訓練である。ある日は一節しかできなくとも、それを毎日続けていれば、もうけを出すことができる。聖霊が働いておられるからである。しかし、ヨハネの黙示録の効力を理解せず、地の中に隠しておくならば、「悪い臆病な僕だ」(25:26)と言われ、役に立たない僕として外の暗闇に追い出されてしまう。ここで「主人」は、「誰でも持っている人はさらに与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる」(マタ25:29)と諭している。「持っているもの」とは、神の言葉の認識である。
そこでヨハネの黙示録には、「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである」(黙1:3)と書かれている。ここで、「時が迫っているからである」とあるのは、黙示録の最後の章に、「見よ、私はすぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、幸いである」(22:7)と書かれた言葉を先に受けている。御言葉は、「この書の預言の言葉を守る者」と認識を共有するために、待ち構えておられるのである。
黙示録の「幸い」は7つあって、黙示録全体を前に進める大きな推進力になっている。上に示した改訂版「ヨハネの黙示録の預言的構成」の図(2026/4月版)は、黙示録の「7つの幸い」について、新しい見解を与えている。「7つの幸い」に、本ブログでこれまで考察してきたような働きと、推進力があるのは、これらの幸いが、マタイ福音書にある山上の説教の中央に置かれた、「主の祈り」を受けているからである。イエスが、「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい」(マタ6:8~9)と言って教えてくださった主の祈りは、7つの願いから成り、神を天の父と呼ぶことから始まる。
これを受けて、黙示録の初めは、「イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである」(黙1:1)と書かれている。ヨハネの黙示録の訓練は、確かに神である天の父のみ旨なのである。次回は、主の祈りに答える7つの幸いについて考察を深めたい。
Maria K. M.
インターネットマガジン「カトリック・あい」に、本ブログ執筆者の投稿が掲載されました。
➡ 「パトモスの風⑩」


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