イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2025/03/03


185. 預言された者 その7

サン・ダミアーノの十字架像の上では、ヨハネの福音書と黙示録の登場人物たちが再会している。十字架像の上方には封印のついた巻物を片手に、黙示録のヨハネがいる。十字架のイエスの右にイエスの母と使徒ヨハネ、左にマグダラのマリアとクロパの妻マリアが立っている。 

さらに、十字架上のイエスに一途な眼差しを向ける者たちがいる。マグダラのマリアとクロパの妻マリアの左手には、ローマ帝国のキリスト教改宗を象徴する百人隊長がいて、彼の真剣な眼差しは、ローマへの道を開いたパウロを思い起させる。また、百人隊長の肩越しにイエスを見上げる人物には、この十字架像に出会うことになるフランシスコが預言されている。彼はこの十字架像との出会いによって、ヨハネの福音書と黙示録を背負うことになった。彼は使徒ヨハネの眼差しを持ったのだ。 

十字架像の下方、イエスの左膝下の横に小さく描かれた雄鶏もまた、上方のイエスをじっと見つめている。最期の夕食の席で、血気にはやり、「あなたのためなら命を捨てます」(ヨハ13:37)と言った使徒ペトロに、イエスは、「はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度私のことを知らないと言うだろう」(13:38)と予告することによって彼の命を守った。ここに描かれた雄鶏の眼差しには、ペトロの思いが込められている。 

他にも、十字架上のイエスにその眼差しを向ける二人が、イエスの両側に小さく描かれている。彼らは伝統的に次のように言われている。イエスの左にいる人は、イエスに酸いぶどう酒のしみたスポンジを差し出した人である。ヨハネ福音記者は、イエスがこれを受けたと書いている(ヨハ19:29~30参照)。それは、「言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい」(ルカ22:18)とイエスが言った「神の国」が到来したことのしるしである。彼はその目撃者となった。 

イエスの右にいる人は、イエスのわき腹を槍でついたローマ兵である。彼は、新しい契約の締結と教会の誕生に立ち会い、彼自身もイエスのわき腹から流れ出た血と水を浴びたのである。ここで、ヨハネ福音書に「また、聖書の別の所に、『彼らは、自分たちの突き刺した者を見る』とも書いてある」(ヨハネ19:37)と書かれた記述は、新約聖書ではこの箇所と黙示録だけに見られる(黙1:7参照)。 

ここで、ヨハネ福音書と黙示録が関わったことは、次のように書かれたヨハネ福音書の主の復活の場面の最後のエピソードの最終テーマと重なってくる。それは、サン・ダミアーノの十字架像において、ヨハネの福音書と黙示録のテーマが一緒に描かれていることの理由であり、この十字架像に呼ばれ、預言された者となった聖フランシスコにとっても大きな意味があったに違いない。次回に考察したい。 

「それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、『わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか』と言われたのである』(ヨハ21:23)。 

Maria K. M.



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