2025/02/24
184. 使徒ペトロ
十字架上でイエスが、母と使徒を親子の絆で結ぶことによって公に使徒に託したものは、司祭職であった(ヨハ19:26~27参照)。司祭職の中心に、聖霊と協働して生まれるキリストの御体と御血がある。ご聖体は、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」(6:56)と言ったイエスの言葉を実現し、信者を父の御心に向かわせる(6:40参照)。そこには、罪の赦しを得させる新しい永遠の契約がある。神の子が天から降って来たのはこのためであった(6:38参照)。
神の子が私たちの間に宿るために、神は天使を送ってマリアとヨセフに神の子の権威を託した(マタ1:20~21、ルカ1:28~38参照)。神が天使をとおしてマリアにその承諾を求めたのは、神の子の命を身ごもったマリアの記憶には、子を身ごもるすべての女性がそうであるように、神の創造の業の助け手となったという消えない跡が残るからである。
復活したイエスは、三位一体の神の一致の内で、ペトロに、「わたしを愛しているか」と三回問うた(ヨハ21:15~17参照)。その朝、御言葉によって大漁の体験を共にした他の使徒たちの前で(21:1~14参照)、また、イエスがご自分の母と親子の絆で結び、司祭職を託したイエスの「愛する弟子」(19:26)の前で、神は、ペトロが使徒たちの頭となって、聖霊と協働してご聖体を生む司祭職を受け取ることの承諾を求めたのである。それは、イエスの母となったマリアがそうであったように、司祭職を受け取った男性の記憶には、神の救いの業の助け手となったという消えない跡が残るからである。
ペトロは、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」(ヨハ21:15)と答えた。それはマリアが天使に向かって、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)と答えた言葉に相当する。このように見ると、かつてペトロに御父が現し、イエスが授けた神の権威は、次のようにイエスの両親が託された権威に符合していたことが分かる。
ペトロは、「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタ16:16)という御言葉を天の父から授かった(16:17参照)。一方、神の子を迎えるヨセフとマリアは、「その子をイエスと名付けなさい」(マタ1:21、ルカ1:31)という言葉を主の天使から授かった。そこには、「神は我々と共におられる」という意味の名である「インマヌエル」が実現されていた。この名は、神が宿るご聖体の内に継続している。
イエスは、ペトロに、「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」(マタ16:18)と言った。それは、マリアが天使から「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」(ルカ1:32~33)と言われた言葉と符合する。
最後にイエスがペトロに、「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタ16:19)と言った言葉は、ヨセフが天使から、「この子は自分の民を罪から救うからである」(1:21)と言われた言葉に符合する。「自分の民を罪から救う」ためには、信者たちを誘惑から守り、悪から救う「天の国の鍵」を、使徒たちの頭ペトロに与えることが必要であった。
復活したイエスの三回「わたしを愛しているか」という問いに応えたペトロには、かつてイエスが授けたこれらの御言葉が宿り、その使命は彼の内で固まった。神と使徒たちの前で承認されたペトロの使命は、その後継者たちに受け継がれていく。
こうして教会の運命を背負ったペトロは、パウロの登場によって予想もしなかった場所でその最期を迎えることになる。パウロは、イエスの命じた言葉に従って、キリスト者にローマへの道を切り開いた(使23:11参照)。ペトロは、そのローマで、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言ったイエスの言葉を実現する。イエスが次のように予告したとおりである。「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」(ヨハ21:18)。前回考察した、二度目の「わたしに従いなさい」(21:22)とは、神の計画に従ってペトロがローマへ行くことであった。
Maria K. M.
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